Audibleを3ヶ月で辞めた話など

鼻の先に人参 - TIPPI AWKWARD

で書いたとおり、注文していたバッグが届きました。

ああかわゆい。

なんてかわいいんだ。

でも容量が少ない。

生理中はこれだけじゃ出かけられないかも(唐突なリアリズム)。

 

昨年のことになりますが、AudibleなるAmazonのオーディオブックサービスを使ってたんですね。

初めの一ヶ月は無料だったかな。

アプリを落としたら、あとは適当に本を探してダウンロードしておくと、

出張の移動時間で時間を有効活用してる風なことができます。

実際陸を移動していたって、電波やWi-fiが息絶えたりすることってあって、

ストリーミングが黙る瞬間は誰だって悲しいものです。ダウンロードって尊い

ストリーミングが父なら、ダウンロードは母である。

 

先に言っておくと、一般的な自己啓発書、ビジネス書が、自分には向いていなかった、そのことが短い時間でよくわかったから、とてもよかったという話です。

好きでそういった書物をよく読むかたは、直ちにここでクソ駄文を読むのを止めて、

本を自由に聴こうぜ。

魅力的な声の朗読者さんもいて、とても楽しめましたよ。

あと、不眠の私が、結構な割合で眠りに落ちる誘導瞑想みたいのがありました。

どれかは忘れたけれど、試す価値もないこともない。

www.audible.co.jp

 

前置きが長くなりました。

きっかけは確か、海外のユーチューバーが何かの本を薦めていて、ちょっと興味が湧いたから。

Audibleで読んだ(聞いた)とのことだったので、登録してみました。

がしかし、日本版にはその本はおろか、海外の本といえば、著名な俳優/女優人による古典の朗読(そそられるけれど、古典だけに長いものが多くてダレた)または英語学習者向けの英会話素材みたいなのしかなかった。残念。

 

しかし、ちょうどジムに行くのが億劫になってきて、啓発書でも聞きながら運動したら意欲が湧くのではという思惑から、そのまま使い続けてたんです。

運動、嫌いだけど、とりあえず何か聞いてれば気が紛れる。

 

朗読には何となく詩とか童話とかのイメージがあるけれど、

Audibleには自己啓発書、ビジネス書(特にコミュニケーション書)など、

普段ならあまり読まないジャンルのコンテンツが一番多くて、

書店ではちょっと触手が動かないタイトルも基本的に著者と違う人(声優さん)が朗読するのを運動しながら聞くだけなら、

と思えるので安易に手を伸ばすことができた気がする。

少なくとも今までの人生で一番「人生が変わる」本を読んだ3ヶ月でした。

(我が人生よ、そのままでもいいのだよ。)

 

そしてひとつ思ったことがあります。

 

Audibleのコンテンツがもしかすると偏っているのかもしれませんが、

仕事術、会話、コミュニケーションなどの書籍でよく語られるのが、

「お前の話をするな、人の話をよく聞け」

ということです。

ごもっともです。

みんな自分の話をしたい。

だから、率先して良い話し相手になろう。

 

結果、これを読んだ人みんなが他人に話をさせようとして相槌打ち合戦になる。

自分の話をした人が負けのゲームになってしまう。

何度かそういう場に出くわしたことがあります。

自分自身人見知りなので、打ち解けたと思えるまであまり喋るほうではなかったのだけど、 こうした書籍を読んで、はたと思い当たる節があったのです。

 

人見知りではあるけれど、ヒリついた空気に耐えきれず、自分の家族の”おもしろ”エピソードなどで和ませたつもりになってイキっている女が私です。

イキってはいないのだけれど。いや、イキってたかな、だいたい酔ってるし。

とにかく私はこのゲームで大敗北を喫したのです。

 

沈黙は金です。

調子に乗って饒舌に喋ってしまったあとには、ほぼ後悔がやってきます。

まるで人格が変わったように喋る自分にとても混乱します。

ああ本当の本当におバカさん、と自責の念と自己憐憫のみぞれ雨に打たれ、

ただ悶えて1日が終わることもよくあります。

でも、少なくともその場を和ませるという方向性は合っているはず。

銀メダルをとる人がいなければ、金にはなんの意味もありません。

純粋に金が大好きでコレクションしたいのなら別ですが。

 

なにが言いたいかというと、自分よがりになったり誰かを傷つけたりしない限り、

自分のことを語るのも大切なコミュニケーションだということです。

こういった書籍の著者たちは、人間、抑えていても勝手に身の上話を始めるものだから、禁止するくらいでちょうどいいということでそう書いたのだと思います。

でも、それはミレニアルズには少し過剰かもしれません。

ただでさえ元からヒリついていて、マジョリティー/マイノリティしか饒舌ではいけないゲームかなんかのプレイヤー席に座らされているのに。

極端なことを言うと、

そもそも何も言わないゲームって、一体何を争っているんだろうか。

空っぽのゲームに勝って、嬉しいのだろうか。

 

そして最近ふと、自分のことを自分の言葉でちゃんと話せる人が、

一番魅力的だし、一番稀有な存在なんじゃないかと思ったのです。

実は金メダルより銀メダルのほうが原価高いじゃんみたいな話かもしれませんが。

もちろんそれがとても難しいことなのは百も承知です。

自分の話のつもりが、家族や友達の話になっていることの多いこと。

雑学とか旅行の話も多い。

いつも話す相手ならばそれも良いけれど、ネットを探せばすぐに手に入る情報だったりします。

 

こうして考えると自分の体験、自分の切り口で、自分の感想をひねり出すことが、

どれだけ困難なことか思い知らされるけれど、

話が面白い人、話していて楽しい人というのは、ちゃんとそれができているのです。

多少筋道だってなくても、気にならない。

 

そういう話が聞けるのならば、一人でバーへ出向くのも悪くないなと思える。

ひとり酒愛好会会員ですが。

 

だから、みんなの口を「へえ〜」「なるほど〜」って書かれたマスクで封じるような

こうした言説はなんだか違和感があるし、

せっかくの別個体の体験を共有できるまたとない機会をテンプレにしてしまうのは、

言葉を操る生き物としてもったいない気がします。

もちろんテンプレに落とし込んだら楽になった人もいるのだろうけれど。

ちゃんと自分の話が伝えられるようになるための本があるなら、ちょっと読んでみたいけれど、正直腹がいっぱいなのでしばらくビジネス書はいいかな。

ということで最近はPodcastとかで雑談やテーマトークを聞きながら運動してます。

(本はKindleで読んでます。結局Amazonに金を吸い取られる運命と書いてさだめ。)

 

もちろん、聞かなくても勝手に武勇伝などを語りたがる古き良きおっさんたちやヤンキー上がりなどなどとうまく付き合わなければいけない際は、

「お前の話をするな、人の話を聞け」まだまだ効果覿面だと思います。

でも、今の私の周りには気を遣うべきこうしたおっさんの方々があまりおらず。

ヤンキー上がりは大概面倒臭いので相手にせず。

 

自分もせめて、10回に1回くらい面白い人、せめて文章だけでも面白い人になってみたいと思ってさっきからキーボードを叩いているのだけれど、

どうにも面白くなくて、このざまです。